Dec 24 2011
Jan 01 2011
謹賀新年
2011年がやってまいりました。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。わたくしは今年も摩訶不思議なオンライン教育にかかわって、新鮮なナマモノ学生たちと切磋琢磨の毎日を送ることとなりそうです。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
Nov 08 2009
アメリカの高校生と向き合うということ
奥歯が痛い。最近かなり噛みしめているらしい。
こちらの高校生はかなり剛速直球が多い。日本ではあえてそういうのは避けてきた。日本ではうまく乗り切りたいと思ってきた。しかし、外国で生活して、偽善さじゃどうにもならないという度胸がついた。そして、出会った「星ヒュ-マ的」ティーンエージャたち。自分の娘さえそうなりつつあることに驚愕さえ覚える。
彼らはセンスレスなのか、それともとてもセンシティブなのか。教師として、外国人として、距離感やある程度の遠慮はあるものの、彼らの純粋な剛速直球には日々圧倒され、言葉を失う。
成績が下がり気味の学生のうちに電話をかける。それがバーチャルスクールの唯一学生とマジでリアルに向き合う瞬間でもある。家族は核家族化を通り越してシングル化している。それが教育にとってどうのこうのということではなく、苗字や両親という概念から離れた現実に多感な青春を過ごし、学校に通う若者が大多数を占める、それにどう接するかということだ。そういう学生にこちらがイノセントにはなってはいられはしない。彼らに現実的な解決策を、まずは今学期どう乗り切っていくかの方策を示さなくてはならない。まずは原則を示し、ルールを説く。そして、とにかくは相手のことを真剣に思っている意思が伝わればよし、とにもかくにも教師も同じ土俵に立っていることを理解してもらうことがまずは第一歩。
Oct 22 2009
そして今年もレース、めぐりきて
ブログの更新をさぼってたうちに、あっという間の一年がたった。それでもレースはめぐりくる。地元で開かれるロードレース。今年は例年にない寒気襲来の中、10月中旬なのに、もう初冬みたいな寒さで霜がおりる。前日レースのナンバーをとりにいくだけで鼻が凍りそうになる。おまけに夢で忌野清志郎がボーイフレンドとして出てきて、「なんだ~」と混乱してるうちに6時の目覚ましが鳴る。
レースの前に食べるベスト朝食とは何か?ベーグルとかプロテインバーとか意見は異なる。私にとってズバリ正解は「赤飯と納豆」。「このレースで何人が『赤飯と納豆』を朝食にとったか」とアホなことを考えつつスタート集合地に向かう。レースのために一方通行になった道路で車の誘導をしているボランティアもいかにも寒そう。ご苦労さま。
ランナーの多くは長袖とタイツ姿。うーん、どうしよう。いつも土壇場で服装に迷う。短パンで走ることは間違いないが、上は半袖か長袖か?レースマスターは燕尾服にタイツ、ぎょっ。やっぱり半袖でいこう。極度の寒がりなのにまったく寒さを感じない。おかしい。興奮しているのか更年期障害なのか判別不能。
そして、レース開始。どれほどあがいても、興奮しても、淡々とすべては進行していく。そんなことをぼんやり考えていて、レースに出遅れる。後ろにいた人が「何してんの?」という感じで追い越していく。あ、そうだ、レースなんだこれは。
今年はちょっと様子が違う。いままではあまりにももろもろのことに気をとられていた。脳ミソの酸素消費量というのは馬鹿にならない。何も考えない。目を半ば閉じ、夢遊の境地で走っていく。自分の呼吸音だけが耳に入ってくる。ペースの連呼も、給水所の「水!」と叫ぶ声も、他のランナーの息遣いもはるか遠くに後退する。走馬灯のように通過していく景色も漂うのみ。淡々と時と一連の動作が進行し、意識の過程を経ずしてレースの最終点に差しかかる。あと200メートルという声。自分の名前が呼ばれているらしい、ラストスパートの上り坂だなぁとぼんやり思っているうちにゴールに入っていた。いつもなら意識過剰に「なんでこんな大変なことやってんだ、もう絶対レースなんか出ない」と思いつつ走るのが、今回は朦朧としたままの5K。全体で23位だった。
結果的に不思議なレース。去年やおととしよりも自己タイムが良かったものの、強豪ランナーが同年代に多く、年齢別の2位の賞がもらえたものの、マスターズでは賞がとれなかった。なるほどレースというのは自分の力だけで結果が決まるものではない。逆にこの歳でみんな20代や30代より速いなんて、なかなかやるなぁと同世代の好敵手に敬意を払わずにはいられない。歳を重ね、あらたなライバルや発見にめぐり合うのもレースの楽しみ。淡々と年はめぐり、淡々とレースを走る。不思議な新境地であった。
Jan 27 2009
バーチャルという名の学校
高校生を対象とした州のバーチャル・スクールで教えている。単位を落とした必修科目、地元の高校では教えていない外国語、進度の進んだ学生には大学の科目も提供する。飛び級やホームスクール、補習といった学び方の多様さを州がインターネットで教育支援する形。学生によっては一部の科目を地元高校で履修し、一部の科目はインターネッで勉強して単位を取る「ハイブリッド・ホームスクール」をしている者もいる。
15年程前、シンガポールでコンピュータを使い、外国語やソフトウェアのプログラミングを教えるシステム開発に携わった。高価なUNIXシステムは学生全員が実用的に利用することは不可能で、研究開発にとどまっていた。それが現在アメリカでインターネットを使って遠く離れた学生と教師がつながり、バーチャルな学校として広範に受け入れられつつある。学生はビデオやテキストをダウンロードして自習し、会議ソフトでプレゼンツールを使った講義を教師から受ける。リアルタイムで会話の指導を受け、その録音を後で復習に利用する。宿題はドロップボックスに提出し、教師が添削・注意点を入れたファイルを再びドロップボックスに戻して、復習。個々に勉強している学生は同じ科目を勉強する学生とディスカッション・ボードで意見交換し、離れていても共に学ぶ利点を共有する。
輝ける未来形の学校のようではあるが、実はハイテクとは常にローテクを伴うことを強調したい。参加学生の科目担当教師は、ハイテクを利用した興味深い教材開発に力をそそぐと同時に、学生がインターネットやコンピュータ、周辺機器を問題なく接続し、必要なソフトを利用できるようサポートし、自学自習に常に目を配っている必要がある。社会人や大学生と違い、高校生であるから、学生だけでなく、学校、そして親に対しても成績やプログラム内容を理解してもらうため、連絡を綿密にとる。この労力や大変なもので、学期始めは99%ローテクな意思伝達に追われ、コンピュータに馴染みのない親に一つ一つ操作方法を教えたりもする。
もうひとつ、学校を通して科目を履修している学生に対しては学校とのやり取りが重要になる。アメリカでは、公立高校の予算は大部分が州の各カウンティ(郡)の税金によりまかなわれ、カウンティの教育委員会が教育方針を決定する。つまり、優秀な学生を育てられる学区に教育熱心な家庭が集まり、その地域は住宅価格が上昇し、税金も集まるサイクルになって、学区によって教育レベルの違いが歴然とする。各学校は縦割り組織の中で、独自のカルチャともいうべき体制や方針を堅持する。そこに、横糸のように州のバーチャル・スクールが入り込むことはなかなか大変なのだ。学校としてはコンピュータで教育を行うことについて熱心なふりはするものの、実際部外者からゴチャゴチャ言われることは極端に嫌う。コンピュータ利用の諸問題、時間割の交渉、学生の成績や参加態度など、事細かに学校の担当者に連絡し、理解を求め、妥協点を探り、解決法を見つける、なんとも消耗する作業である。
ま、そんな四苦八苦なローテク+ハイテクな学校、教育の縦糸と横糸をうまく紡いでいけるでありましょうか。
Jan 18 2009
10kmの逆走
去年のクリスマス休暇でフロリダ、デイトナビーチを毎朝15km走った。砂浜はインパクトが少なくあたかも永久運動のような心地よさがあった。そして、新年を迎え、今年は10kmを自分の友としよう、というのがNew Year’s Resolutionとなった。
寒波が襲い例年になくかなり寒い、しかし、内なる声は「10km走ろう」と言った。10kmコースは湖を半周して、その後林の中を走るコースで、地元のランニング・クラブが丁寧にスタートからフィニッシュまでマーキングしている。今まで親しんだ5kmのコースをオーバーラップしているが、逆方向に走ることになる。今まで走り慣れている道も、逆に走ると風景は一転する。木々の枝ぶりや道の起伏の一つ一つがフィルムを逆回転で見、体感するような、似て非なる不思議な印象で迫ってくる。同じ行程でもこんなに違うのかと、新たな発見に走りながら驚いている自分がおもしろい。この寒い中、走っている人の格好も変てこだ。毛糸の帽子をかぶったり、スキーマスクで銀行強盗みたいになって走ってる人もいる。対面から来るランナーに挨拶すると、それぞれに挨拶が返ってくる。
そんなことを楽しんでいるうち折り返し地点を通り越し、普段走らない後半部分に差し掛かる。急に不安にかられ、ぐんと疲れを感じる。疲れを感じるのは酸素が足りないからではなく、体内中の二酸化炭素が多くなるからだとテレビで言ってたなぁ。意識的に息を強く吐く。あ、二酸化炭素を排出すると温暖化につながってしまう・・・、疲れてくると気持ちもネガティブになっていく。
自分の人生、一体何をしてきたのか、あぁ焦燥感。不況、増税、重くのしかかる閉塞感。
そして、林の中の十字路にさしかかる。ランニング・クラブがつけた標識が親切に「10kmはこっち」と矢印を示している。矢印に従っていくと、しだいに道はゆるやかな下り坂になり、身体が徐々に「あぁ、気持ちいいじゃん」と調子を取り戻してくる。
閉塞感や焦燥感に陥りやすい人生の後半を走るとき、逆走の発想というべき、見方や行動の転換は必要だ。同じような行程でも新たな発見がある、それは実に目からウロコの驚嘆すべき実感なのだ。10kmを走って思った。折り返し地点直後以降、不安もあり、その精神的作用か身体も大変になる。緊張して自然ペースが乱れ、妙にペースが速くなったりしている。しかし、後半しばらくすると、徐々にペースを落としてでも後半乗り切るという意欲が湧いてくる。とことん、後半楽しもうという、なんともしぶといポジティブな意欲が湧いてくる。
10kmの逆走、5kmのフルスピードの走りでは得られなかったものが体感できつつある。今年の目標は「10kmの走りを楽しむ」ことにしよう。




